秋の夕暮れ

ここ数日は過ごしやすい日が続いていますが三温四寒とでもいいましょうか、すっかり冬の空気すら予感するような秋の景色になってきました。

 

やはり「秋は夕暮れ」ですよね。今日も地平線に近い西日が空をあかく染めている空をながめ、どこかしみじみとした寂しさを抱きながら一人帰っておりました。(本当は寂しかったので友人と晩御飯を食べようと思ったけど誰も捕まらなかったので・・・)歩いていると高校時代に歩道橋からふと覗けた大きな夕日を思い出しましたが、あれも思えば秋の夕日だったように思います。やはり秋の夕日は美しいですね。

秋は一際夕日が大きく見える季節だと科学的にも言われているらしいですが、やはりそれだけではないでしょう。散り始める紅葉はもちろんのこと、秋の日はつるべ落としと言いますが気づいたら日が沈み夜になっているそんな中での夕日の儚さ、冬の張りつめたそして澄んだ空気がふと顔を出し広大な夜空のなかでポツンと一人佇む寂寥感とそれゆえあたたかさへの敏感さが増す日々の生活、そんなものすべてが秋の夕暮れの美しさを際立たせているような気がします。

「秋は夕暮れ」なだけでなく「夕暮れは秋」でもありますね。美しい秋の夕暮れに思いを馳せられたのだから友人が捕まらなくてかえって良かったかもしれません笑

 

さて、秋の夕暮れといえば言わずとしれた三夕の歌があります。

 

・さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ  寂蓮法師

 

・こころなき身にもあはれはしられけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行法師

 

・見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ 藤原定家

 

 

秋といえば定番のテーマは紅葉、落ち葉、すすき、月ですかね、古今和歌集の「秋上・下」に掲載されている歌も大半はこれらのテーマです。一方、意外なことに秋の夕暮れ、夕日について詠った歌は一つもないようでした。(自社調べ)

それらの古典的な秋に"ある"美しさを詠った歌に対し、三夕の歌は秋の"なさ"とその世界に対峙する自身が抱く寂しさのようなものが詠われています。(「さびしさは」はちょっと逸れるような気がしますが秋の景色の本質は寂しさという自身の内面性にあるという主題自体は同一のように思います。)「こころなき」と「みわたせば」は思い浮かべた鴫や花、紅葉が忽然と消える。そんなギャップで際立つ荒涼感が美しく身にしみますね。

鴨長明も無名抄でこんなふうに語ったとか。

「秋の夕暮の空の景色は、色もなく、声もなし。いづくにいかなる趣あるべしとも思えねど、すずろに涙のこぼるるがごとし。これを、心なき者は、さらにいみじと思はず、ただ眼に見ゆる花・紅葉をぞめではべる。」

 

やはり秋の夕暮れの美しさはどことない寂しさがあってのもの。深く身に染み入る寒さや深く身に染み入るクリスマス一色の町並みがおとずれ段々と心も体も寂しい季節がやってきますね。今年最後の心地よい寂しさを噛み締めながら今回はこの辺で。

 

 

すっかり日が暮れて気温も下がってきたようです。体調には気を付けてくださいね。